異文化理解だと?!日本の英語教育に圧倒的に足りていないものは?

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英語が必修科目となって久しいが、日本の英語教育には批判も多いのが事実である。

今回は、そんな日本の英語教育において、足りていないものについて考察していきたいと思う。

 

ちゃんちゃらおかしい異文化理解

 英語はどうして学ばなくていけないのか?学生を経験した者なら一度はこうした疑問を持ったことがあるのではないか。

そしてそんなときによく学校の現場で言われるのが「英語を学ぶのは異文化理解につながるからです。」というものであった。文部科学省現行の学習指導要綱にも「グローバル化の中で、自分とは異なる文化や歴史に立脚する人々と共存してい くためには、自らの国や地域の伝統や文化についての理解を深め、尊重する態度を身に 付けることが重要になっている。」と異文化理解の重要性について述べている。

 

しかし、ある日そのような考えに疑問を持たざるを得ない出来事が起こった。

 

先生「look は、みるという意味の動詞です。」

~後日~

先生「seeは、みるという意味の動詞です。」

~後日~

先生「whachは、みるという意味の動詞です。」

 

この時、筆者を含めその場にいた生徒は全員look 、see、whachはすべて「見る」という風に覚えた。何一つ疑いようもなくである。

しかし、これは間違いである。look、see、whatchはどれも使い方に違いがある。

look:(意識的に)見る

see:(無意識的に)見る

watch:見る✖ 観る〇

 

ほとんどの場合、学校の先生は上の三つの単語を「みる」という説明で終わらせてしまう。しかし、それは日本語としてそのように訳しても不都合ではないからできることである。

日本語で訳して不都合ではないから、そういった説明でOKというのは異文化理解ではない。本当に異文化理解という観点で英語を勉強するのであれば学校の先生が教えなくてはいけないことは、ネイティブの人がどのようにそれらの言葉を使っているのかである。

具体的には、「日本語では上の三つの言葉はすべて『みる』と訳せるけど、ネイティブの人たちは使い分けをしているんだよ(以下略)」

日本語でOKだからそれで大丈夫だとするのは、結局自己中心的に英語を覚えているのに過ぎない。本当に異文化理解を目的にするのであれば、相手(その言語を使用している人々)の立場から言語を説明しなくてはいけない。

 

自己中心的な異文化理解など文字通り矛盾している。

 

英語教育は何を目指しているのか?(東京都を例に)

平成29年度の東京都教育委員会発表の英語教育改善プランには以下のようなことが書かれていた。

1.「平成 32 年までに「英検準1級、TOEFLiBT80 点以上 」の英語能力をもつ英 語科教員の割合を高等学校で 85%以上、中学校で 60%以上となることを目指している。」

 

2.「おおむね 10 年後までに「高校卒業段階で、 日常生活に必要な英語力(英検準2級程度)を習得」させることの実現を目指しており、生徒の 英語力向上を図る研修の充実を一層推進している」 

 

3.「ペア・ワークやグルー プワーク等を含めて、生徒が英語で言語活動をしている時間の、1単位時間の授業に占める割合 の増加を図る。」

 

4.「  平成 29 年度は、高等学校教員を対象に延べ 115 回の研修実施及び延べ 3,700 名の受講を、中学 校教員を対象に延べ 136 回の研修実施及び延べ 5,000 名の受講を目標として、研修機会と内容の 充実に取り組む。」

 

以上のことから分かるのは日本の英語教育にある根強いペーパーテスト主義である。

 

生徒・先生問わず、また英検・TOEFLと言ったテスト形式を問わずとも、ペーパーテストによる数値目標は、彼らの民間英語試験の成績を向上させる可能性は大いにある。

 

しかし、実際上学生の目標となっている英検では英語を話す機会があれども、ほとんどの受験生は過去の問題からある程度簡単なテンプレートを暗記して話しているだけで、受験後にはすぐ忘れてしまう。

 

つまりは、ペーパーテストが目標になってしまうとそのための勉強で終わってしまい、英会話といったコミュニケーションの問題や異文化理解の目標は結果的おざなりになってしまうのだ。

 

これは東京都の英語教育改善プログラムで英語力の向上を目指すわけだが、果たしてそこでいう英語力とは何なのだろうか。

 

異文化理解やコミュニケーション力の向上を目指しているはずが、その評価方法がペーパーテストでは生徒側にも、先生側にも英会話を勉強するインセンティブはわかない。 

日本の英語教育に必要なもの 

日本語の英語教育置いて必要なものは、まずはじめに英語をネイティブの視点から学ぶことである。これは先にも述べたように異文化理解に大きくつながる。もちろんそのためには、先生たちへの研修や、外国人の先生の活用は必要不可欠である。

 

二つ目に、高校・大学受験との兼ね合いをどのように保つか。やはり、日本での英語教育がコミュニケーションの点において効果が薄いのは、受験のためペーパーテストの勉強が最も重要な要素となっているからである。

 

しかし、英語会話力を伸ばしていくには英語をもっともっと使用する必要がある、受験英語と使える英語のバランスをどのように取っていくのかを慎重に見極めていかなくてはいけない。

 

そしてそのためには、日本の英語教育は何を目指すのかはっきりとしていかなくてはいけない。現在の日本の英語教育は建前上のスローガンはあれど、現実はなんとなく受験のために英語の授業があると言った具合になっている。

 

 

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