『新・賢明なる投資家』備忘録④第三章(株式市場の歴史-1972年初めの株価)
皆さんこんにちは!
今回は、『新・賢明なる投資家』備忘録④として、第三章(株式市場の歴史-1972年初めの株価)について見ていこうと思います。
備忘録①は以下の記事よりどうぞ
第四章では上記の通り、株式市場の歴史について触れられていますが、その時の相場の予想、株価などの数字は現在の取引に活かせる部分が多いわけでもないのでなるべく割愛し、現代の投資においてもかなり重要な教訓についてフォーカスしていきたいと思います。
どの道を行くべきか?
グレアムは1964年の株式市場に対して、その相場が高すぎる状態であると判断していました。
※グレアムは、1964年の相場が高すぎると言う判断を鵜呑みにはしないよう警告もしている。様々な異なる意見を比較衡量し、最終的には自分の決定に責任を持つことを求めている。
もちろん、
現在の我々に対して重要なのは、実際に1964年の相場が高かったのかどうかではなく、そのような高過ぎると思われる相場において「賢明な投資家」はどのような行動をするべきであるのかという点です。
これに対しグレアムさんは、危険な高さにある相場においては以下の三つの原則を取るべきであると主張しています。
要は、株式市場が今後下落すると見込んでの準備をしろと言うわけですね。
返済のめどが立てられない借金はするべきではないし、下落する株式の割合を増やして損を増大させることもするべきではないし、必要があればそのダメージを軽減するためにポートフォリオをリバランスするべき。
ん~
当たり前のようにも聞こえるけど、こういう当たり前のことをきちんとできるかどうかが大きな差になるという事なのでしょうね、勉強になります。
ちなみに、株式の割合を減らすのであれば債券や普通預金などに資金を回すのをグレアムさんはおすすめしています。
まあ、この点に関しては現代の方がグレアムさんの時代よりも金融商品が発達していますからより良い選択肢はあるかもしれませんね。
また、文中では危険な高さの相場における、おまえ絶対やるなよ指令がありました。
目を通しておきましょ。
ドルコスト平均法を一定期間にわたって着実に実行してきた投資家は、その定期的投資法続行するのか、あるいは市場水準がもう危険な水準を脱したと思えるときが来るまで、それを休止するのか、論理的にはどっちを選んでも良いだろう。ただし一九六四年末のような相場の水準の時に、決して新たにドル平均法を始めるべきではない。(P145)
過去に基づく推定で未来を予測してはならない
グレアムさんの主張は他の章でも述べられているよに、過去にあったことが未来にも同じく登場するとは限らないという事です。
しかし、
これについてはただの一つだけ必ず過去にあって未来にも起こることがあると書いてありました。
それは、
あなたは将来の株式予想を間違う
と言うことです。
なんとも耳に痛い話ですが、もうこれに関してはどうしようもないですよね。
同書では、どれだけの人達が株式の予想をいままでに外してきたのかが詳細に示されていますが、そのうちの一つが楽観主義です。
いままでもこうだったし、この先もこうなるだろう。
今は、すごくいい景気だし、まだこの傾向は続くだろう。
みんな買ってるし大丈夫。
あの専門家が言っているのだから間違いない。
このような、
合理的では無いアニマルスピリット的な発想は極めて非論理的で危険な結論であるとグレアムは言うのです。
アニマルスピリットについては以下の記事でまとめています。
市場は必ずあなたの予想を裏切ることがある。
これは、どう頑張っても変えられるものではありません。
しかしだからこそ、悲しいけれどもあなたは自分の技術に対しては謙虚でいなければなりません。
もし、あなたが自分の予想に謙虚でいることが出来るのであれば、仮に市場があなたを裏切ったとしても、あなたはそのリスクに対処しておくことが出来るはずです。
信用すれど、信頼はしない。
ということでしょうね。
まとめ
過去に基づく推定で将来を予想してはならない
自分の予想に謙虚でいる
今日のところはこの辺で終わります。
ここまで、お読みくださりありがとうございました。